
HISTORY
HANAPEUPEU CACAOBAR
誕生物語

ハナププカカオバー開発者のTAKAが、カカオに出逢うきっかけになったスマトラ大津波10周年追悼式典、飛び入りプロジェクトの立ち上げ発足。


噂に聞いて初めて訪れた1990年雨季のバリ島から一瞬で開眼し、インドネシアで最高の波を求めて毎年訪れ、島々を彷徨い続けてから6年後、この地に初めて辿り着き、
直ぐに運命的なものを感じ、その後は毎年欠かすことなく、最高の波が来るシーズンの数ヶ月の間住み込んで、波を待つようになって8年後、御縁の深い地に押し寄せた、想像を絶する規模の大津波で全てが吹っ飛んだ。

その大津波から10年後に当たる、2014年12月26日に盛大な追悼式典が開催されると知ったTAKAは、色々思うことがあって、金品などの物質的支援以外で、何か現地に貢献出来る事がないか?と、長年ずっと模索していたので、なんのコネもないのに思い付きで飛び入り参加することにしたら、


奇遇なことに、当時近所に居座ってるサーフジャンキーのヒッピー日本人ということで興味を持たれて、プライベートビーチ付きの豪邸にご招待してくれてから親交のあった、1980年代に在日インドネシア大使館で観光局長を務めていた王族ファミリーのハッサンと、
その幼少期に10年間過ごして日本語がペラペラな友達ヘカの消息が、津波後にリバーサイドで広大な庭園の宿をオープンした、王族ファミリーの主人サムにたまたま氣に入られて、格安でキッチン付きのコンドミニアムにお世話になってたら判明し、津波以後途絶えていた彼と連絡が取れて相談したら、


なんとたまたま追 悼式典の実行委員会代表に、ヘカの弟であるトミーが任命されてて、ヘカが長男のパンリマに連絡を取ってくれて、一緒に事務局へ行ってお願いしたら、追悼イベントの参加許可と、金銭面以外のサポートの約束を得ることが出来ました。
それからは勢いだけで、日本中のアーティストで、僕の思い描くイメージに合いそうな方々に声掛けしまくり、殆ど相手にされませんでしたが、奇跡的に集まって頂けたメンバーで、ミニアースデイ的なエコ&アートイベントを開催。




現地関係者の皆さまから好評価をして戴けたのですが、すっかり燃え尽きてしまい、抜け殻のようになり、これからどうしようか途方に暮れていた時に、もはや必然的に導かれて、現地で素晴らしいカカオと珈琲豆に同時期に出逢うことができました。


たまたま友達に誘われた現地観光促進イベントで偶然に、日本の支援で立ち上げられた工房の御当地チョコを発見してしまい、


すぐさまバイクで現地へ出向き、直接 交渉して譲って頂いたカカオと、別の御縁で出会った家族経営のスペシャルな珈琲農園まで直接行って譲って頂いた珈琲豆を日本へ一緒に持ち帰る。


最初は軽の箱バンで寝泊まりしながら行く宛なく、手探りで徘徊しはじめて、カカオの紹介と無料のコーヒー焙煎ワークショップからはじめましたが、
何故か成り行きで焙煎音ライブ&カカオでのエナジーボール作りワークショップに少しづつ進化し、辿り着いたハナププ式珈琲&カカオセレモニーで全国規模で、毎年半年以上掛けて150件くらい徘徊するまでに至りました。




珈琲セレモニーは⽣カカオを皮ごと食すところからはじまり、ワークショップは乳鉢で摺り潰して、蜂蜜や⿊糖、スパイスやドライフルーツを混ぜてエナジーボールにしたり、試行錯誤の日々。


次第に珈琲セレモニーが大好評で忙しくなり過ぎ、カカオのワークショップや紹介までする余裕がなくなり、⽣カカオの輸入も規制が厳しくなる中で、素晴らしいポテンシャルを秘めた物であることを全国を巡ってライブで体感する事が出来ました。





色々探求した結果、ハナププのカカオを効率よく楽しむ方法として、最響の味と香りに焙煎してチョコレートの滑らかさになるまで、じっくり機械で挽いて固めただけのカカ オバーが誕⽣。

現地チョコレート工房のボスに初対面した時に、いきなりチョコレートじゃなく⽣のカカオを譲ってくれという要望に
「こんなもの誰が食うんだ?」
と呆れられつつも、日本の支援で夢が実現した御縁の工房だったこともあり、時間を掛けて根気よく交流を重ねて、なんとか説得して懲りずに試作し続けて頂き、完成させる事が出来たものです。

それからさらに細かい改良を続けて2年が経過して、ようやく製品化したハナププカカオバーは、未経験の現地工房と協力し合って、日本への発送テストを繰り返し経験を積んで、
インドネシアと日本の税関検疫、輸入代行を請負って頂いてる運輸会社のサポートのもと、日本正規輸入販売が出来るようになり、2022年1月1日より公式サイトをオープンし、販売を開始しました。
そして何時か世界に向けてインドネシアのスパイスやハーブを生産者たちと協力し合って発信してきたいとおもっていたら、御縁で現地法人化するチャンスがあり、
PT. Cinta Alam Raya 、愛の宇宙という意味の社名の会社を立ち上げることになり、今後はインドネシアを拠点にして世界へ向けてハナププの輪を広げていきますので、応援して頂けますとありがたいです。


現地工房オーナーの想い
もともと私は普通のカカオ農家でしたが、農⺠が⽣産するカカオ豆が仲買業者に安く買い取られている事に⻑年疑問を感じて、2003年から自⼒でカカオの加工販売をしていました。
その翌年にスマトラの地震が起きてから5年後の2009年に、日本の国際支援団体から復興自立協⼒援助があり、チョコレート工房を立ち上げる為の支援を受けて、私たちはトレーニングを受ける為に、ジャワ島のスラバヤに送られ、コーヒー&ココア研修センターでチョコレートの加工について学び独立開業することが出来ました。

現地工房について
スマトラの大津波が起きてから5年後の2009年に、日本の某国際支援団体から復興自立支援を受けて、機材を調達してチョコレート加工を学び、独自に開業された工房です。
2011年にはインターナショナルカカオアワードの審査員であり、カカオハンターで有名な小方真弓さんを招いてカカオの発酵をしっかり学んでいます。
小方真弓さんの主な経歴
2009年よりINTERNATIONAL CACAO AWARD(COCOA OF EXCELLENCE) 審査員
2012年INTERNATIONAL CHOCOLATE AWARD ヨーロッパ予選審査員
参照ページリンク
https://r-tsushin.com/premium/ogata5.html
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